友愛5月号—中村圭吾さんの韓国PAX報告

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今回の韓国PAXを参加して
中村圭吾


私は今回の韓国PAXに参加してさまざまなことを学び、有意義な日々を送ることができた。今回の韓国PAXの参加を通して、従軍慰安婦や日本統治下の韓国について学ぶことができた。特に印象的だったことは、四つある。

一つ目は、二日目の午前に日本大使館前で行われた従軍慰安婦像前でのデモだ。当日は、メーデーであったためか、たくさんの人がデモに参加していた。特に多かったのは、学生であった。中には、ジャッキー・チェンの黄色い服を着て、安倍首相の顔写真を貼ったスポンジボールのようなもの殴っていたのが、興味深かった。女子学生や子供連れの女性も参加しており、日本よりも政治に対する関心が強いような気がした。デモでは、ダンスや歌など楽しそうな演出があり、日本よりも楽しそうなデモだったことが驚きであり、面白いと感じた。しかし、子供連れのお母さんがデモに参加しているのを見ると「こんな小さいときから反日感情を抱くような事をしなくてもいいのではないか」と悲しい気持ちになった。また、デモの中に入ると自分は祖国を裏切ったような変な気持ちにもなった。

二つ目は、ナヌムの家に訪問したことだ。ナヌムの家に併設された従軍慰安婦について歴史資料館に見学し、従軍慰安婦について学ぶことができた。そこでは、韓国軍の軍人もおり、私は、少々緊張した。私が驚いたことは、日本人の従軍慰安婦も存在していたことだ。私は、従軍慰安婦といえば、中国人や韓国人というイメージがあったからだ。元従軍慰安婦の方々とお会いする機会があり、いろいろな話を聞くことができた。一人の元従軍慰安婦の「自分が従軍慰安婦だった頃には生まれていないから今の日本人は許せる。謝罪してくれるのはうれしいが今の日本人には、関係ないことだから謝罪されても心は癒えない」という言葉が印象的だった。「安倍首相や昭和天皇に謝罪してほしい」という言葉にどれだけ苦痛を味わったのだろうかと考えさせられた。

三つ目は、景福宮に行ったことだ。私は、韓国の歴史ドラマが好きでよく見ていた。そこで、見ていた歴史建造物を間近で見ることができ、とてもうれしかった改めて韓国の宮殿の素晴らしさを痛感した。ソウル市内や景福宮は二回目の訪問だったが、以前より、黒人や欧米人が多いように感じた。韓国もグローバル化したような気がした。

四つ目は、韓国でのホストファミリーとの交流だ。二日目にはホストファザーにタッカルビとマッコリ、三日目には、サルギョプサルと酒をご馳走になった。そのときに、祖父の話や政治の話をした。ホームステイ先では、韓国の時代劇ドラマや韓国の童謡、韓国の教育事情について学ぶことができた。ホストマザーとは、中国語を少し、勉強したという共通点があり、打ち解けたような気がした。四日目の自由行動ではさまざまな助言をもらい、有意義な四日目を過ごすことができた。

今回のPAXに参加して、私が電車の乗換えを間違え、迷子になり、さまざまな人に迷惑をかけてしまったことをこの場で詫びたい。しかし、いろいろなことを学ぶことができ、有意義なゴールデンウィークを過ごすことができた。カレンからは、南京のサマーキャンプに誘われた。ぜひ参加したと思う。ホストファミリーをはじめ、PAXを受け入れたPEACEBUILDINGの方々、WFCの皆さんにお礼申し上げる。

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友愛5月号—キャパー実生さんの韓国PAX報告

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韓国PAX研修を通して
キャパー 実生


私は、PAXを通して韓国の若者の平和に対する思い、日韓の歴史的問題、韓国文化を理解し、体験することを目標としていました。その中でも、日韓の歴史的問題特に慰安婦問題のことを最初期待していたよりも深く理解することができ、今まで見たことのない視点から学ぶことができたとお思います。

まず、1日目には日本大使館前で行われた慰安婦問題のデモに参加しました。そこには休日にもかかわらず大人だけでなく若者が大勢いたことに私はとても驚きました。

彼らは、大人に言われたから黙って座っている日本の学生とは違い、積極的に呼びかけたり、歌を歌ったりしていて、正しくないと思うことに対して自らが進んで行動を起こす姿が印象に残りました。

二日目には、ナヌムの家に行って、戦争時の日本軍の下で女性たちがされた酷い過去について学びました。ハルモニの方々から直接話を聞いた時には、博物館で見たことが実際に今目の前にいる人に起こったのだと考えると涙が出ました。日本の学校に通い、日本の平和教育を受けてきた私が学校の教科書から学ぶことのなかった韓国側の事実を知ることができて、心が痛みました。ハルモニの方々が求めていることは、基本的に謝罪と慰安婦問題のことを教科書に載せることなのに、日本政府はなぜそれができないのか私には理解できませんでした。三日目にあった松本さんの被爆証言とその後あったQ and Aの時に私は言いましたが、過去の過ちを理解しないと未来の平和は実現できないと思います。

三日目の夜にあったQ and Aの時には、日本語と英語の訳をしている時にみんなの思いを聞くことができて様々な視点から物事を見ることができたと思います。そして、みんな日本の若者の思い、私たちが受ける平和教育に対し大きく興味を持ってくださって、一生懸命答えましたが、普段そういう質問を受けるのに慣れていなかったため、自分の考えを全て伝えることができなかったです。このような研修を受ける機会がある人は多くいないからそのぶん自分の意見をしっかりと持ってこの度経験することのできたことを少なくとも日本での友達や先生方には上手に伝えられるように頑張りたいと思います。

最終日には、ホストファミリーとココちゃんとオースティンと商店街でお買い物をした後、ピースビルディングに戻り、みんなで夕食を食べた後に輪になり思い出や印象に残ったことを話しました。私はこの研修中私を受け入れてくださった素敵なホストファミリーと携わってくださった方々にとても感謝しています。

この経験は一生忘れません。

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友愛5月号—立花志瑞雄さんの韓国PAX報告

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2019 韓国PAXレポート
立花志瑞雄


4月30日から5月5日まで、WFC 韓国PAXのツアーリーダーとして韓国を訪問しました。今回のプログラムを通して感じたことを報告します。

5月2日、私たちはナヌムの家(日本軍「従軍慰安婦」の方達が暮らしている)を訪れ、日本人スタッフ矢嶋宰さんの案内で、歴史館を見学しました。その後、イ・オクスンさんというハルモニ(おばあちゃん)にお会いしました。イさんは、私の謝罪に対して、私が求めているのは日本政府の謝罪であり、あなた個人の謝罪ではないと言われ、現在の日本の政権、安倍晋三首相から、謝罪があるとは期待できないと話されました。この言葉には少なからずショックを受けました。私たち市民には、ハルモニたちに対して、何もできることは、ないのでしょうか。

ナヌムの家を訪問した同じ日の夜、メンバーの一人、被爆者の松本滋恵さんの被爆証言を韓国の方達に、聞いていただく機会がありました。証言の後の質疑応答で、一人の韓国の方から、日本の人たちはアメリカに、原爆投下に対する謝罪を求めないのかという質問がありました。松本さんは、日本人がアメリカに謝罪を求めない理由の一つとして、日本人の水に流すという精神性をとりあげえ、応答しました。私からは被爆者の人たちは、世界中の誰一人として、自分たちと同じ経験をして欲しくないと考えていることを伝えました。

日本人は過去の戦争に対して謝罪し、許しを受けていく必要があると思います。ハルモニたちは、日本軍「従軍慰安婦」強制連行の事実を認め、日本政府が公式に謝罪することを求めています(ハルモニたちの要求は七項目あります)。個人の謝罪は何にもならないとイさんは話されましたが、日本人が今後もナヌムの家を訪れ、心からの謝罪を続けることによって、いつの日にか、ハルモニたちの心の傷が癒され、私たちの謝罪を受け入れてくれることを願います。それが私たち日本の市民にできることではないかと思いました。

最後に韓国PAXを受け入れて下さった平和構築共同体のみなさんのあたたかい歓迎、献身的なプログラムへの取り組みに感謝します。今後もこのプログラムが継続し、北東アジアの平和のために、寄与することを願って、私の報告としたいと思います。

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友愛2月号—「立命館大学国際平和ミュージアム」スタディツアーに参加して

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「立命館大学国際平和ミュージアム」スタディツアーに参加して」 
髙橋勝己


小雨降る1月末日、京都にある「立命館大学国際平和ミュージアム」を訪問しました。ツアーは総勢8名(WFC理事4名、Hiroshima をつ・た・え・る・基礎講座受講者4名)。JR京都駅で同ミュージアムのボランティアガイドの谷川佳子さんと合流し、彼女の先導でバスにて衣笠山の麓にある立命館大学へと向いました。谷川さんによると同ミュージアムは大学発のものでは世界に類を見ない規模と内容とのこと、期待に胸が弾みました。

先ず訪れたのは、岩国出身の末川博名誉総長の名を冠し、末川先生の遺品展示等がある末川記念會館。ここで、5歳の時に横川で被爆し、現在は京都原水爆被災者懇談会世話人でもある花垣ルミさんが私たちを迎えてくれました。

館内のレストランで昼食、メンバーの自己紹介の後、花垣さんの被爆証言を聞きました。被爆時の様子、とりわけ三滝方面への避難の際に経験したことが後年になってフラッシュバックしたそうです。

隣接するミュージアムへと移り、まず玄関先で“アンネのバラ”が迎えてくれました。建物に入ると、居心地のよい広い空間のラウンジが待っていました。東西の壁面には、戦争禍の過去から明るい未来を表す手塚治虫「火の鳥レリーフ」二枚が光彩を放ち、また印象に残る「ムッちゃん平和像」が鎮座して迎えてくれました。谷川さんの説明によると、ムッちゃんは結核のため防空壕に一人隔離されたまま、戦争が終わったことも知らずに飢えて死んでいった少女だそうです。

続いて、いよいよメインテーマ、“平和をみつめて”の常設展がある地下一階へと向かいました。横手に大きな「わだつみ像」を見ながら階段を下ると展示が始まります。この階では「十五年戦争」と「現代の戦争」の二つのテーマに分かれて展示。特に前者のコーナーには、一次史料に基づく膨大な展示、史実に依拠したニュートラルで分かりやすい説明文があり、感動しました。知らないことをいっぱい発見することができました。

このミュージアムは、立命館が戦前に軍事色の強い学園であったことを自ら痛烈に反省したうえで設立されたものであり、“平和創造の主体者をはぐくむ”とする強い意志が随所にみられました。

展示の内容はそれぞれ重く、テーマを列挙しますと、①軍隊と兵士(帝国軍隊の特徴)、②国民総動員(戦争協力体制)、③植民地と占領地(抗日運動)、④空襲・沖縄戦・原爆、⑤平和への努力(日本人の反戦運動)、そして⑥戦争責任です。中でも、兵士がかついだ30㎏にもなる背嚢の重さ、当初、原爆投下の第一順位にあった京都への投下計画(梅小路機関区から半径2.4㎞の円)を示す航空写真、抗日スローガン等が強く印象に残りました。

続いて、二階に上がり「平和創造展示室」を見学しました。ここでは、“戦闘状態がないことだけが平和ではない”、を中心テーマに、暴力と平和を考えるコーナーの紹介があり、身近にある様々な課題に気づきました。

隣には、長野県上田市にある戦没画学生の美術館「無言館」/京都館-いのちの画室があり、若くして命を落とした画学生たちの作品と向きあいました。

今回の「立命館大学国際平和ミュージアム」訪問では、学術的知見の上に構築された膨大な展示物を通して、戦争の愚かさとともに、平和への志向は個人の主体的な行動によって現実化するということを体感でき、今後の平和活動に向けて大変に有意義なツアーでした。

ガイドをしていただいた谷川さん、花垣さん並びに同行いただいたWFCの理事の皆様に感謝申しあげます。

未来へはばたく「火の鳥レリーフ」をバックに、
左から、仁木さん、渡辺さん、松野さん、三保さん、車地さん、田口さん、高橋、立花さん
未来へはばたく「火の鳥レリーフ」をバックに、
左から、仁木さん、渡辺さん、松野さん、三保さん、車地さん、田口さん、高橋、立花さん

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友愛11月号 — 田城美怜さんのアメリカPAX報告

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「アメリカPAXツアー」を振り返って
平和の基礎となるもの

 

12日間のアメリカPAXツアーは、私にとって「きっかけ」の旅となりました。

日々の体験や気づきから、外からの視点でヒロシマを見るきっかけ、大きな意味で「平和」を考えるきっかけ、そして自分を再確認するきっかけを得られました。

シカゴ大学の最初の核実験施設跡地にある記念モニュメントや国立アメリカ空軍博物館の展示を通して、核開発の始まりが現在も称賛されている文化を目の当たりにしました。ウェスリアン大学で中国人男性から第二次世界大戦中に日本軍がアジア諸国に行ってきたことへの指摘もありました。それぞれのストーリーがあり、歴史的解釈がある中、どうしたら未来に目を向けて話し合い、平和に向かって共に歩んでいけるのか。私たちの世代はこれからヒロシマをどう伝えるべきなのか。

ウェスリアン大学でのピースカンファレンスを通しては、紛争、歴史を遡る憎み合い、格差社会、男女差別など、世界中でそれぞれの「平和」を必要としている人たちの現状とそれらの状況を改善するための活動について学びました。「平和」とはなんなのだろう。一人一人にとっての平和は違うのか。共通するところはなんなのだろう。

私の中で答えは定かになっていない疑問ばかりですが、このようなことを考え、持ち帰ることができました。それらを心に留めながら、さらに学ぶ中で、その答えを少しずつ探っていきたいと思っています。

具体的な気づきとしては大きく二つあります。

一つめは、大学で何度か行ったクラス訪問です。そこでは、一方的プレゼンではなく、質疑応答などの対話が主でした。そこには能動的で直接的な人との繋がりがあり、とても有意義だと感じました。

二つめは、アートの力です。私のプレゼンでは「ヒロシマの孫たち」について少し紹介しました。そして天野さんの「父と暮せば」のひとり読み語りしばい。ヒロシマを伝える効果的な一つの手段として、アートには特別な力があると再確認しました。人間として、心が自然と共感したり、動かされたりする力に人種や国籍などは関係ありませんでした。

これらの気づきをこれから活かしていきたいと思います。今回は大学生より上の人に話すことが主でしたが、次回はもう少し広い世代に、歴史、証言、アートを含め、様々な方法を通してヒロシマを伝え、私たち一人一人が核問題を自らが直面している人類の課題として捉えていくことにつながってほしいと考えます。

毎日が新しいプレゼントを開けるかのような毎日でした。私が赤ん坊の頃に知っていたのよ、という女性との驚きの嬉しい再会が2回もありました。たくさんの人にお世話になり、様々な出会いの中で改めて感じたことがあります。それは、対話による学び、理解、繋がり。すなわち友達になること。やはり平和の土台はそこにあるのかなと強く思いました。

ブレズレン・ボランティアサービスのダンと妻のウェンディ。あなたたちの溢れる寛容さに感謝します。夜の会話の中では、新しい視点をたくさんもらいました。ベーグルから始まり、ベーコン、そして最高のコーヒー。私の小さなアメリカンドリームを叶えてくれました。二人のおかげで私たちの旅は素晴らしいスタートを切ることができました。

イリノイ・ウェズリアン大学のジョージー。意義深いピースカンファレンス、そしてそこから生まれたかけがえのない繋がりをありがとう。色々な気づき、そして学ぶことの幸せ、大切さを改めて感じることができました。あなたと、人として、女性として直面する様々な問題を語り合えた時間は本当に楽しかった。

ウィルミントン大学のタニア。短い時間の間にコミュニティー、アート、博物館と、信じられないくらい多方面から平和を考え、経験させてくれてありがとう。あなたの穏やかでありながら、静かに燃え続ける強さが私は大好きです。そして今までアメリカで食べた中で一番美味しかったかもしれない食事をありがとう。

歴史をもう一度学び直し、それを通して現在を考える必要性を気づかせてくれたスナイダー夫妻にも感謝しています。手作りデザート、そしてベーコンをたくさんありがとう。

ブラフトンのアリス。何年ぶりかわからないくらい長い年月を挟みやっと再会でき、あなたの89歳のお誕生日も一緒に過ごせて、本当に嬉しかった。私が小さかった頃から、今も変わらず、愛情を注いでくれてありがとう。そんなあなたの周りには愛情によって築かれたコミュニティーがあり、平和の根底にあるべきものを垣間見たような気がします。

 

共に旅をしてくださったPAXメンバーの方たち。それぞれの個性でお互いを支え合いながら過ごした掛け替えのない時間と、たくさんの笑いをありがとうございました。

そして最後に、いつも見守ってくださり、今回私にこの素晴らしい機会を与えてくださったWFCの皆さんに心からの感謝を送ります。

写真:写真がボケているのが残念ですが、私の楽しい旅仲間3人。大合唱しながらお散歩していました!

 

 

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友愛11月号 — 西井美穂さんのアメリカPAX報告

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「PAX アメリカツアーを終えて―真のボランティア精神から伝えられる平和―」

西井 美穂

 

私はPAX(Peace Anbassador Exchange、平和大使交換プログラム)のメンバー4人の一人として、2018年9月17日アメリカへ渡りました。

私の参加したPAXアメリカツアーは、9月17日から28日までのシカゴを中心とする12日間、4か所に数日間滞在しながらぐるっと一回りしてシカゴに戻り帰国するという行程でした。ぎゅっと凝縮され密度の濃い旅であろうと、これまでのPAXツアーに参加した諸先輩方から聞いておりました。参加前から様々な配慮をいただいていたこのツアーは、学び萬斎の楽しい旅であることは予想されましたが、体力の面で少し不安がありました。実際には、その不安も杞憂に終わり、最初から最後まで幸せな持ちで過ごすことができたのは、一緒に行ったPAXメンバーの仲間と日米のボランティア精神にあふれた人たちの連携プレーのおかげだと思っております。

このPAXツアーでの私の最大の学びの一つは、アメリカでは、家庭が一つの明確な社会の単位で、一人ひとりが社会に開かれているということを肌で感じることができたということでした。今回は平和のために活動している人たちとの出会いが中心だったので、そう感じたのかもしれません。しかし、積極的に他者のために働くための確固とした土台・組織があり、そこで働く人は楽しみながら責任をもって活動しているという様子をみるにつけボランティア精神が社会や個人に根差しているということを感じました。他者のために働くことは自己犠牲ではなく、むしろ自己の価値とつながっていることに感動しました。

さて、PAXメンバーとしての私のプレゼンテーションですが、出発直前日本で確認できたことは、12日間で自己紹介なども含めて少なくとも12回行うということでした。シカゴ周辺のElginのChurch of the Brethrenで2回、bloomington・NormalのIllinois Wesleyan Universityで7回、Wilmington Collegeでは2回、Bluffton UniversityのLion and Lamb Peace Arts Centerでは1回。

すべてのプレゼンテーションは、たとえ拙いものであったにしろ、私にはかけがえのない時間でした。しかしその中でも最も緊張し、かつ不安をおぼえ、また感動を覚えたプレゼンは、Illinois Wesleyan Universityでの日程の最後の日に行われた、Panel Discussionでした。私を除くパネリスト3人は、アフリカや中東出身の難民として生き抜いた人や、平和活動家などアメリカ在住の人たちでした。体験においても、英語力という意味でも、相当私とはかけ離れていると初めからわかっていました。それでも私は、自分のテーマである“The Spirit of the Memorial Cenotaph for Atomic Bomb Victims(原爆慰霊碑の精神)”は、根底において彼らの平和活動の精神とつながっていると信じていました。

Panelの終了する約30分前のことです。会場後方から、一人の中国の方が私に対して厳しい指摘をされました。日本人の南京大虐殺について数字をあげて糾弾するという雰囲気もありました。私はその時、過去の日本人の行為について謝罪するとともに、戦争には勝者も敗者もないこと、原爆慰霊碑は、人類の一員として戦争に加担したことを反省し、死者の前で戦争を絶対にしないことを誓うためにあると述べました。被爆者の場合は、原爆の被害者でありながら世界的な視点からは加害者であり、未来の平和のためには、被爆者を含む全人類が恨みや被害者意識を乗り越え、世界平和を誓うことが必要であることなどを、浜井信三元広島市長の自伝である『原爆市長』から引用しながら説明しました。自分の言いたいことが伝わったかどうか疑問でしたが、会場から拍手が聞こえたのでほっとしたのを覚えています。

WFC広島やアメリカの皆さまには、こうした機会を与えていただきありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。英語能力の向上は、私の今後の課題としたいと思っています。

 

 

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友愛11月号 — 天野達志さんのアメリカPAX報告

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アメリカPAX 2018

天野達志

 

この度、PAX-USA 2018 に参加させていただきました。

今年4月、WFCの山根理事長より、「『父と暮せば』の一人芝居をアメリカでやってみないか」とのお声がけを頂いたのが始まりでした。英語字幕付きの公演を、既に館長ご夫妻をはじめ、WFCの方々にも観て頂いていましたので、是非やらせて頂きたいとの思いでお受けしました。日本の代表的な劇作家、井上ひさしが描いた、広島の原爆をテーマにしたこの物語を、アメリカの地で上演するという、大変貴重な機会を頂きました。「英語力の殆ど無い私が、果たして務まるのだろうか」という心配はありましたが、PAXメンバー(三村さん、西井さん、田城さん)の強力なサポートのおかげで、4会場でのパフォーマンスを全て大成功で終えることが出来ました。お力添えを頂いた皆様に心より感謝申し上げます。

ツアーでは、どの地でも、出会う方々みなさんに暖かく迎え入れて頂き、多くの方々のご支援を頂きました。イリノイ州エルジンのブレザレン教会での公演(9/19)では、ダンさんが、本番ぎりぎりまで、機器の調整に奔走して下さいました。ブルーミントンのウエスレアン大学(9/20)では、ジョシーさんが中心者となって動かれ、大学の先生にも通訳でお世話になりました。会場が、笑いと涙に包まれ、スタンディングオベーションを頂きました。ご来場のレイモンド・G・ウイルソン氏と昭子さん御夫妻から、被爆後の広島のパノラマ写真を3部頂きました(写真は後日、デイトン国際平和美術館とアリス・ラムセイヤーさん、WFCにお届けしました)。オハイオ州ウィルミントン大学(9/25)では、ピース・リソース・センターのタニヤさんに、脚立に登って、会場の照明をセットして頂くなど、大変お世話になりました。宿泊させて頂いたスナイダー氏ご夫妻や地域の皆さん、大勢の学生さんが観に来られました。ブラフトンのファースト・メノナイト教会(9/27)でも、地域コミュニティーの皆様が大勢いらっしゃいました。バーブさんの弟・ケンさんも来られました。89歳の誕生日を迎えられたアリスさんは、益々お元気で、私たちに細やかなお気遣いをして頂き、大変お世話になりました。

今回のツアーを振り返り、行く先々で出会った人たち、案内をして頂いた方々、暖かく迎え入れてくださったホストファミリーの皆さん、会場に足を運んでくださった方々、PAXメンバーの一人ひとりに、改めて感謝申し上げます。そして、このような貴重な機会を授けて頂いたWFCの皆様に、重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。

今回のツアーでの体験を、平和のメッセージを伝える公演活動に活かして参ります。広島と長崎に落とされた原爆の実相や、WFCを創られたバーバラ・レイノルズさんはじめ、核廃絶・世界平和に取り組んだ方々の歴史をさらに学び、伝えて参ります。今後とも宜しくお願い致します。

ありがとうございました。

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友愛11月号 — 三村庸子さんのアメリカPAX報告

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アメリカPAX報告

三村 庸子

 

6月末の公募を見て応募しました。メンバーに選んで頂いてこの度参加できたことは私にとって得がたい貴重な経験となりました。アメリカでは4ヶ所訪れましたが個人旅行では到底成しえなかった、たくさんの方とお会いすることが出来、また沢山の場所を訪問できました。これはひとえにWFCがそれぞれの機関と培ってきた歴史のおかげだと痛感しました。行く先々で暖かく迎えていただき、コミュニィティーの結びつきの強さを感じました。また、綿密な準備に力を注いでくれたそれぞれの地でのオーガナイザーの方達、WFCのPAXコミティーの方達のおかげだと感謝しています。

1番初めに訪れたのはシカゴから西北に位置するElginでした。ダンさんに依るとここはブレズレン(平和主義の教会の1つ)の本部で、かつてはブレズレンの出版業務部門として発展しました。こちらではシー・カウボーイの本も出版しました。今では、多くの業務のうちここで数週間のトレーニングをへてボランティアを国内・国外に送りだしています。現在の館長夫妻はこちらのBVS(ブレズレン・ボランティア・サービス)を経て広島のWFCに来られました。

イリノイ・ウェズレイアン大学では昨年6月にインターンとしてWFCに8週間いた ジョージーがリーディング・オーガナイザーを務める大学の国際平和デーに参加しました。9月21日の国際平和デーに合わせて国際平和カンファランスデーを20日から22日まで開催しており、私たちは初日から7つのクラスビジットをしました。クラスでは自己紹介のあと質疑応答があり、クラスや学生の考えを知るいい機会にはなりました。この大学ではヒロシマについてよく学んでいるという手ごたえがありました。質問の内容は、ネイティブでない私にとってその場ですぐ返せるものばかりではなく、質問がクラスビジットで有ることを認識していれば、ある程度想定して考えをまとめておきスムーズに話が出来たと反省しています。満足のいく答えを返せなかったという思い、力不足を痛切に感じました。

私のプレゼンの内容はWFCの紹介と自分のピースガイドを通し、無辜の市民(夫の身内も含め)が原爆被害を受けた話をしました。6時半から、パネルとディナーという形で、私の後はハンク・キャンベル氏でパレスチナとイスラエルの青少年をアメリカでのキャンプを通して多様性を学んでもらうという活動とか地域のロータリー・クラブでも活躍している方で 私の緊張は高まるばかりでした。でも一番前の席にPAXメンバー3人が座ってここにいるからねと言ってくれたのは、不安を拭い去るに十分効果がありました。この場面だけでなく道中冗談を言い合ったり何かと助け合ったりありがたい仲間でした。

ウィルミントン大学ではまずピースリソースセンターを訪れタニヤさんにお会いし、そこで地域の方の心のこもった美味しいポットラックパーティーを楽しみました。ここでは地域と大学がとても近い感じでした。ここには日本語の核に関する書籍が日本以外では最多の700冊あるそうです。バーバラ・レイノルズの記録資料の整理と分類がタニヤさんと学生の手で進んでいます。

ブラフトンではオーガナイザーのアリス・ラムザイヤーさんの家にまずお邪魔し、ホームステイ先の家族と会いました。ブラフトン大学ではディレクターのルイーズさんに構内の彫刻を案内していただき平和への発信を芸術と文学を通してする強い意志が感じられました。小学生から、平和について学ぶ居心地のいい、本を揃えた部屋があり “さだこ”を伝えていました。プレゼンは3人続けてLion & Lamb平和芸術センターでありブラフトン新聞でアリスさんが宣伝してくれていたのでコミュニティの人たちが多かったようです。私のステイ先のスティーブさん(当大学の数学教授)や学生もいました。後で各自、話が弾み楽しかったです。

この旅でPAXが訪ねた4つのコミュニィティーは、年月をかけて“ヒロシマ”を伝えて“核兵器が人類の未来を危うくするもの”と理解を進めているところでした。いまだアメリカでは核保有国として自国の立場を主張し是認する意見が強いようですが、ほんの小さい私達の力でもつながることで大きな1つの意見となると思います。

この思いを強くもって歩んでいこうと思いました。機会を与えていただきありがとうございました。

 

The Lion and Lamb Peace Arts Center in Bluffton University

 

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友愛8月号 — ケリー・パーカー

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WFC での経験
(2018年7月6日~8月12日)
ケリー・パーカー

雨のなかの到着

私は7月6日に広島に到着しましたが、その時は市内が豪雨の真っただ中でした。高速道路は通行止めで、バスも電車も走らず、空港ホテルは完全に満室でした。幸いにも清水美喜子さんと清水孝宣(よしのぶ)さんがこの大変な状況を手助けしてくれました。彼らは、私の為に空港ホテルに近いコテージを予約することができましたので、私は空港で一晩を過ごさなくて済みました。コテージは4人家族用のものなので、私一人には少し広すぎました。でも、私はそれを最大限に生かして、日本までの長旅の疲れをゆっくり癒しました。

翌日の朝、空港ホテルのロビーに移動しました。バスはなお動かず、WiFiと電話サービスも不通になってしまいました。ホテルへ食糧を運ぶトラックさえ到着せず、食べ物は何もありませんでした。結局、彼らは空港に私をシャトルバスで送り迎えしてくれたので、食べ物とWiFiにたどり着くことが出来ました。そこで、私は美喜子さんともっと連絡をとることができました。どうやら、空港ホテルにもう一晩宿泊する必要があるということのようでした。幸いにも、このとき、私のための一部屋があいていました。時差ボケがあったので、その夜は5時近くにはもう眠くなりました。

翌朝、4時近くに目が覚め、やることもあまりなくてたくさんの時間がありました。

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友愛8月号 — ミラベル・チェン

友愛
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WFCでのインターンとしての感想文
ミラベル・チェン

 

ビザ取得などのトラブルで一週間遅れとなりましたが、5月20日の陽のふりそそぐ午後、私はついに広島ワールド・フレンドシップ・センター到着し、そこでの素晴らしい6週間の体験が始まりました。

到着後2週間は、毎朝6時に日本語の短期集中コースをスカイプで受けなければなりませんでした。それはわずか8週間のコースですが、私はなお、かなりの日本語を学びました。つまり、それだけの価値があるものでした。

平和文化村での一週間は、本当に私のお気にいりの経験でした。現代の人々は、平和についていつも話しています。しかし、その人たちは本当に平和とは何かを知っているのでしょうか? 平和文化村は、試行的コミュニティとして、平和の本当の意味は何かについて人々に考えさせてくれます。一晩の宿泊か、単に日中の仕事に参加するなど、いつも平和文化村にはゲストたちが行き来しています。この週は、ステイーブ・リーパーさんや他のディレクターやスタッフが出かけ、私とメアリー・ポペオだけでしたが、私たちはなお素晴らしい時間を持ちました。そして私の昆虫や虫嫌いに対して、彼女の我慢と理解に本当に感謝しています!大きな都市、北京で育った私には、田舎に実際に住むというチャンスはほとんどありませんでした。それで、私にとっては目新しい、興味深いことがたくさんありました ― 夏の夜、カエルの鳴き声と共に眠りにつく、鶏の声と日の出で目覚める、食事のための穀物を植え付け、その収穫物を食べる……すべてが私にとっては刺激的で、目新しいことでした。

 

 

私はWFCと修道大学に対して、それぞれの英語クラスに加わるという信じがたいほど素晴らしいチャンスを与えて下さいましたことに、とても感謝いたします。月曜日と木曜日の朝、英語クラスのお手伝いに、水曜日の午後は、イングリッシュ・ドリーマーズ・クラブ に加わりました。学生たちは、ほとんど英文科の一年生でした。彼らを見ていると、私自身の5年前の高校のクラスを思い出させました……外国人としゃべるのがとてもはずかしい、クラスで質問をされるときはいつも緊張するという、英語が未熟な一少女を……そのことが、本当に私に学生さんたちを手助けするために全力を尽くそうという気持ちにさせました。さらに、彼らは、私がここに来て以来お目にかかった若者の最初のグループでした。WFCに来られるほとんどの方々は、40歳以上なので、私と同年代の人とお話できることはすばらしかったです。毎日往復するのに1時間半かかりましたが、その経験は、朝6時半に起きて時間をかけるだけの値打ちはあると私は思いました。すべての人たちは、本当にフレンドリーでした。完全な英語が話せなくても、ほんの少ししか交流ができなかった人達でさえも、彼らの笑顔は、素晴らしい歓迎の気持ちを私に感じさせました。私はいつも彼らがいかに習得が速く、各々のクラスでいかに熱心であるかということに驚いていました。もちろん一つの大きな理由は、ジム・ロナルド先生が、先生として、お友達として、いかにユーモアがあって献身的であったからということです。

 

 

4週目の週末、私は光栄にもWFCの理事会に加わるよう招待をいただきました。ほとんどの理事の方々は、英語を話されませんので、会合は、ほとんど日本語でなされ、バーブさんが私とダニーさん両方の通訳者でした。私もまた日本語で自己紹介をしましたが、皆様感心してくださったようでした。だから、日本語短期集中講座は、事実、本当に助けになったと私は思います! 会合は、効率よく運ばれ、ただ出席して、日本語の会合に耳を傾けるのは、素晴らしいことでした。

私は、きっといつか日本に戻ってくるでしょう!WFCのために、私が親しくなったすべてのお友達のために、私のお気に入りの広島料理、お好み焼きのために、そして、もちろん、もっともっと多くのことのために!

翻訳者:清水美喜子

 

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