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友愛10月号—広島を振り返って〜ダニー・オットー

10/25/2019

友愛
特定非営利活動法人ワールド・フレンドシップ・センター機関紙

広島を振り返って
ダニー・オットー


 過去2年間を振り返ると、私の心は思い出で一杯になり、広島での私の経験について書くことは困難です。私たちは多くの素晴しい人々に出会いました。まず第一に、WFCに関与し、センターの活動に多大な時間と労力を提供している広島の人々に出会い、また、広島の被爆の実相について学ぶために、様々な国から来た多くの興味深いゲストたちに出会いました。時には私たちは二つの世界に住んでいるように思いました。ある時は、世界各国のゲストたちと一緒に時間を過ごし、朝食を提供してから、バーバラ・レイノルズの話と、平和と核軍縮のための彼女の仕事について話しました。レイノルズの話をした直後に、私は英語の授業で、地元のWFCメンバーと会って、広島への爆弾の影響についても一緒に考えたものでした。できれば、この二つのグループの人々を結びつけられたら良かったと思います。

 全ての海外からのゲストたちとの時間を私たちは楽しみましたが、記憶に残る何人かの人たちがいました。最初の年の2月、あまりゲストで忙しく無い時、私たちはある女性から一組の男女二人連れのリクエストを受け付けました。急な予約でしたが、彼らが被爆証言を必ず聞けるように確認を求めました。彼らが到着すると、私たちは一緒に、お茶と会話の時間を過ごしました。自己紹介の後、女性は、これまでに軍関係者を受け入れたことがあるかと尋ねました。私は誰も思い出しませんでしたが、軍の人々も歓迎されることを彼らに保証しました。すると彼女は、男友達に彼の仕事を教えるように促しました。それで彼は私たちに、アメリカ空軍で現役であり、空軍戦略司令部で勤務し、アメリカの核武装した爆撃機を目標に導くためのプログラミングの開発を任されたと語りました。彼の仕事は、爆撃機のパイロットをルイジアナの基地から潜在的な攻撃目標に導くための詳細なチェックリストを開発することでした。それから彼の友人が言葉をはさみ、新たな核戦争が発生した場合に何が起こるかを彼に理解して欲しいと思って、彼らは広島とWFCに来たのだと言いました。

 翌日、二人のゲストはヒバクシャの話を聞き、WFCガイドと一緒に平和公園を巡って、原爆資料館を見学しました。夕方、彼と私は夜遅くまで戦争、戦争の脅威、平和の本質について話し合いました。翌朝、彼らは出発しました。私たちは彼の名前を尋ねませんでした。彼は空軍の彼の上司が彼の訪問を知ったら喜ばないだろうと言いました。私たちは二度と彼らの消息を聞くことはありませんでしたが、私はよく考えます。彼の広島訪問とWFC宿泊が、ひょっとしたら彼の仕事に対する考え方を変えたのではないかと。

 バーバラ・レイノルズは、WFCの使命を「一期一会が平和を築く」と設定しました。これは重要な使命であり、空軍の一員との出会いの例は、私たちが個人レベルで真剣な会話をして人々と触れ合うことができる一例です。私は、このように非常に個人的な方法で平和の構築に取り組む機会を与えてくれたWFCに感謝しています。

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10月のフレンドシップアフタヌーン

10/05/2019

10月26日のフレンドシップアフタヌーンは、8月に中国の南京で開かれたNARPIのサマートレーニングプログラムに参加した中村圭吾さんの報告です。

*NARPI=東北アジア平和構築インスティテュート。東北アジア地域のNGOが協力して、平和構築のために活動しています。

中村さんはWFC Hiroshimaをつ・た・え・る基礎講座のスタッフをはじめ、WFCの活動に参加してくている若者です。

みなさんの参加をぜひお待ちしております!


「南京でのサマーキャンプ参加報告」

日時:2019年10月26日(土)午後2時〜4時

場所:WFC居間

参加費:500円


第3期ー第1回基礎講座を開催しました

10/01/2019

9月28日(土)、第3期第1回のWFC Hiroshima を つ・た・え・る 基礎講座が開かれました。講師は天野達志さん。ライフワークとされている「父と暮せば」(井上ひさし原作)との出合いなど、興味深いお話をお聞きすることができました。天野さんは、先月広島で180回目の「ひとり読みかたり芝居」をされました。

友愛9月号—新館長ロジャー・キャシー エドマーク

09/27/2019

友愛
特定非営利活動法人ワールド・フレンドシップ・センター機関紙

 

 ワールド・フレンドシップ・センターの新館長、ロジャーとキャシー・エドマークからご挨拶申し上げます。私たちは広島に来て1か月余りですが、WFCで楽しく過ごしています。WFCのボランティアやスタッフの皆様全員に暖かく迎えていただき感謝しています。


ロジャー・エドマーク

 私はアメリカ合衆国ノースダコタ州で生まれました。私が1歳になる前に、両親はシアトルに転居しました。彼らは私と姉を車に乗せて、暖かい気候とより良い働き口を求めてシアトルに向かったのです。1週間もしないうちに父はボーイング社に就職しました。その22年後に、私もボーイング社で働くことになりました。

 私は小学校からハイスクールまで学校教育の全てをシアトルで受けました。大きくなるにつれて私は野球が大好きになり、ハイスクールではずっと野球をしていました。私はいつもスポーツが好きで(野球、ソフトボール、バスケットボール、ゴルフ、その他)競技やコーチ、観戦など何でもしました。ハイスクールを終えると、私はシアトルの老人ホーム、ノースホームで働いて鍋や釜を洗いました。私はシアトルのワシントン大学に入学してからもそこで働き続けました。初めは建築学を学びましたが、最終的には哲学の学士号を取りました。卒業後、私はボーイング社で主に空力学工学技術の分野で43年間勤めました。私の業務は海外出張が多く、日本の東京には頻繁に訪れました。

 50歳代の時、医者から心臓に雑音があると告げられました。その雑音は大動脈弁の先天的な心臓欠陥が原因でした。正常で活動的な生活を送りたければ、治療してもらう必要がありました。そこで私は57歳の時、不完全な弁を新しい人工弁に取り換える手術を受けました。今では、私の心臓は時計のように働いて、本当に1秒間に1回鼓動しています。私の孫たちは私の胸に耳を押しあてて、私の心臓の弁の音がドクドクするのを聞くのが好きです。これらのことを通じて、人がどれだけ長く生きられるかを保証するものは何もないということを考えさせられました。ですから、私たちは巡り来る一日一日を大切にしなければなりません。


キャシー・エドマーク

 私はアイダホ州のトウィンフォールズで生まれました。私の両親は私が4歳の時、教会からの招きに応じて宣教師として宮古島に赴任しました。それから11年間、私は途中1年のシアトルを挟み、日本の宮古、神戸、沖縄に住んでいました。15歳の時、シアトルに戻ってハイスクールの最後の2年間を終了しました。ハイスクールの最終学年の時、私もノースホームで働き、そこでロジャーと出会いました。そして3年後、私たちは結婚しました。

 結婚してからの最初の仕事は家庭の主婦で、4人の子供たちが全員学校に入るまでずっと育児にかかりきりでした。その後教会の招きに応えて、宗教教育の指導者として2年間奉仕しました。それから子供たちが通っている学校区の教育補助員になりました。私はその学校区で25年間働きました。

 私の特技の一つは裁縫です。私の祖母は私が幼いころから裁縫を習わせました。その他は型紙の指示で技能を身に付けました。バービー人形の洋服を作って販売したのが私の初めての仕事でした。十代の頃には自分の洋服を何着か作りましたし、ウェディングドレスも自分で作ったのです! ある時は息子の三つ揃いのスーツも入れて4人の子供たち全員の衣装を作り、家族写真を撮りました。娘のエイミーのバレー学校のためには、短いチュチュも含めて沢山の衣装を縫いました。長女のウェディングドレスと付添人のドレスも私が作りました。次女は既製品のウェディングドレスのお直しだけで私の面倒を省こうとしましたが、私はそれを全部ほどいて作り直しました。1枚の布地を手にして何か綺麗で役立つものを作り出す時、裁縫は最高に気持ちいい達成感を与えてくれます。今は手の痛みのため以前ほど縫いませんが、広島に来てからロジャーのワイシャツを手縫いで4枚も手直ししました。裁縫は役に立つ技能です。

 信仰に導きかれて、私は教会で大変積極的に活動しました。私は人生の殆どを教会の日曜学校の先生として過ごしました。大抵は子供たちですが、若者たちや成人も教えました。宗派を超えて聖書研究をする聖書研究同好会は、7年間私の人生の重要な部分を占めました。その頃一時期は、子供たちのためのプログラムでも働きました。2年前に私たちの娘が、教会のキャンプ・コイノニアのキャンプ・会議センターの給食管理者になり、私に彼女のボランティア助手にならないかと誘いました。それで約1年間、私たちは半分の時間はキャンプで、半分の時間はシアトルの北の私たちの家で暮らしました。キャンプは移行期だったので、ほぼ同時にロジャーがそこの開発ディレクターになりました。


キャシーとロジャー

 1973年に結婚して2か月後、私たちは別の老人ホーム、ノースアベンで二組の管理人夫婦のうちの一組にならないかと頼まれて、そこで1年半暮らしました。それが46年間に及ぶノースアベンとの関係の始まりでした。ロジャーは36年間その理事会の一員で、つい最近は理事長でした。現在彼は名誉理事です。

 地元シアトルの私たちの教会は、ブレザレン派のオリンピックビューコミュニティ教会です。ブレザレン教会はアメリカ合衆国の歴史的な平和主義の教会です。私たちは、ブレザレン教会のブレザレン・ボランティア・サービス(BVS)でWFCのことを知りました。私たちは子供たちが小さい頃から教会の活動や指導的な立場に関わってきました。

 私たちの家族は戸外で過ごすのが大好きでした。私たちは子供たちが野外を好むように仕向けたのではないのですが、たまたまそうなったのです!彼らは皆自然の驚異と美しさが大好きです!今気に入っている場所は、私たちも一部の所有権を持っているビーチハウスです。それは我が家から1時間ほど北に行ったところの海岸に建っています。この浜辺のキャビンで私たちはカヤックを操ったり、浜辺を散歩したり、ハンモックでゆったり過ごしたり、いろんな事をして友人たちや家族と楽しみます。

 キャシーと私にとって、他の人のために奉仕するのは大切な事で、子供たちもまたこの事に引き込まれました。彼らもまた人生の中で、他人のために奉仕する職業やボランティア活動を選びました。私たちは15年前にWFCの事を知り、たちまち興味を持ちました。14年前にロジャーが東京に出張した時にはWFCにも来ました。WFCに一泊して、広島の街を探索したのです。私たちの家には額に入った座右の銘が掛けてあり、「神は私たちの能力や能力の欠如ではなく、求めに応じられるかどうかをお尋ねになります。」と書かれています。私たちはWFCの仕事に応じられるように準備し、WFCでボランティア館長をするようにという神の意思に招かれて、今ここにいます!ここに赴任してまだ短期間ですが、もう多くの素晴しい人々に出会い、多くの興味深いゲストたちのホスト役を務めました。WFCの使命がいかに重大であるかも分かってきました。それは、特に被爆者の話を聞いて対話を通じて、人々との一期一会の関係を築くことです。それによって世界中からの人々に平和のメッセージを伝え、同じ思いを共有できる場所を提供することなのです。


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9月のフレンドシップアフタヌーンのお知らせ

09/13/2019

9月28日(土曜日)
午後1:30-3:30 @ WFC
参加費 500円


ロジャーとキャシー・エドマークは WFCの新しい館長です。
自分たちについてのお話を英語でしてもらいます!

ロジャーはワシントン州シアトルで生まれ育ち、ワシントン大学を卒業。その後、ボーイング社に43年間務めた後、退職。キャシーは沖縄の宮古島と神戸で幼少期から過ごした思い出があります。彼女の両親、祖父母、叔父、叔母は皆宣教師でした。高校卒業のため米国に帰国し、ロジャーに出会い、共に4人の子供を育てました。キャシーは特別支援教諭として25年間働きました。二人とも自身の信仰に基づき、様々な形で奉仕したいと考えています。


World Friendship Center
TEL 082-503-3191
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広島市西区東観音町8-10

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