創立者
バーバラ・レイノルズ

バーバラによる
「希望の都市広島」

館長
スタッフ

入会
寄付について

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Directors_DannyBarb

現館長:
バーブ・シェンク&ダニー・オットー
(2017年8月から2019年7月まで)

ワールド・フレンドシップ・センター着任で広島へ転居する事は、バーバラ・シェンクにとっては故郷に帰るようなものでしょう。バーバラが4歳の時、彼女の家族は東京へ越して来ました。両親がメノナイト派の宣教師になる準備として語学を勉強するためでした。子ども時代のほとんどを、バーバラは北海道の標茶(しべちゃ)町と釧路市で過ごしています。

 

バーバラのこれまでの3つの経歴をご紹介します。まず、大学卒業後、ペンシルベニア州及びオレゴン州で音楽教師・聖歌隊の指導者を務めました。次に、イリノイ大学システムで13年間、高校の日本語教師養成課程のカリキュラム開発の専門家として働きました。そして、最近は公立学校の3学年から5学年の特別教員として勤務しました。

 

広島や原爆の影響に興味を持ち始めたのは、バーバラが日本で過ごした幼少期に遡ります。すなわち、両親が日本にやって来た1950年代後半の事です。最初に広島を訪問したのは十代の時。それ以後も何度か訪れています。そして、彼女の二人の子どもも、それぞれ小学生の時に広島に連れて来ています。教鞭をとってからは、毎年、サダコと折り鶴の物語を生徒達と学び、一緒に鶴を折り、その折り鶴を平和公園に送っていました。この八月、広島に来る際には、彼女の最後のクラスで作った折り鶴を持参しました。

 

ダニー・オットーの人生も4歳の時に大きな転換を迎えました。それは(引越しという)地理的な変化ではありませんけれど。ダニーは、イリノイ州の古いアーミッシュの家に生まれましたが、彼が4歳の時、家族が教会を変えてメノナイトとなりました。大学のために家を出る事になった時、これで全く農場生活からはさよならだと思いました。大学院で哲学史を学んだ後、ノートルダム大学、トロント大学、そして、PIMS(教皇庁立 中世史研究所)へと進みました。

 

息子のエリが誕生したのちダニーとバーバラは、ダニーが生まれ育ったイリノイ州中部の農場に戻りました。17年間、500エーカーの穀物農場を経営しました。と同時に他の仕事も続けました。ダニーは23年間、イースタン・イリノイ大学で哲学を教えました。農場に帰ってから、娘のソフィアが誕生しました。ソフィアは現在、JET (The Japan Exchange and Teaching )プログラムを利用して札幌で英語を教えていますが、ダニーとバーバラが来日する頃には日本を離れて、大学院に行くためベルギーのブリュッセルに向かいます。

 

ダニーは、バーバラやその家族と接するうちに、日本への興味が増してきました。結婚2年目の1984年、二人は日本で4か月を過ごしました。その間、長崎も訪問して原爆の爪痕を目にしました。また、ダニーは生涯、献身的な平和主義者であり、ワールド・フレンドシップ・センターで館長として奉仕する事は、戦争の愚かさを皆さんに啓蒙し続ける機会を与えてくれることでしょう。

日本人バイリンガルスタッフ:

勤務時間: 午前1030分から午後330
火~木 栗原尚美
金   池田美穂

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栗原尚美 (2004年から勤務)

内容:一般事務、スケジュール管理,WFC機関誌友愛編集
経歴:翻訳会社勤務

WFCスタッフ

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Bernd & Maggie Phoenix

2015.08-2017.07の館長
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理事会にて
館長バーントと理事

2016.10.08
Directors_Richards

Richard & Xinia Tobias

2013.07-2015.08の館長
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理事

2006.05
Directors

前館長たち

2003.01